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酒匂川と周辺の田園地帯がつくり出すのどかな風景の中を歩くコースです。
酒匂川はしばしば洪水を引き起こす暴れ川であったため、先人たちは治水に苦労を重ねてきました。反面、このはんらんによる良質の土壌の堆積は、実り豊かな穀倉地帯を生み出しました。
自然豊かな田園風景の中に、先人たちの治水に対する知恵と努力の歴史を垣間見ることができるのも、このコースを歩く楽しみの一つといえるでしょう。
![]() 神社の創建は1500年以上前で、延喜式にも記載のある古く格式の高い神社です。かつては「相模田神社」などと称していましたが、明治元年に現在の「寒田神社」となりました。7月31日の祭礼には町を挙げて大名行列が行われ、その様子はマンホールの絵柄にもなっています。境内には1932(昭和7)年の風害でわずかに残ったカヤのほかにケヤキ、イチョウ、かながわ名木100選のカシなどの大木があります。毎年5月ごろ、大ケヤキにはフクロウの仲間のアオバズクが東南アジアなどから飛来してきます。
![]() 富士東麓の水を集める鮎沢川と丹沢山地西部の河内川が合流して酒匂川となり、十文字橋の下流で川音川と合流し、相模湾に至ります。足柄平野のほぼ全域に扇状地を形成した流路延長約46km、流域面積582km2の神奈川県で2番目に広い流域面積を持つ河川です。十文字橋からは、足柄峠や矢倉岳の山並み、さらにその奥に富士山を眺望することができます。また、松田町側の堤防にシバザクラが帯状に植えてあり、4月には白やピンクの花で水辺を彩ります。
![]() この付近には、東海道の裏街道として駿河・相模・武蔵を結ぶ重要な道が通っており、酒匂川には「十文字の渡し」と言われた渡し場がありました。対岸が非常に遠いため、目印として植えられたケヤキで、現在のケヤキは二代目として2007(平成19)年3月に植え替えられました。
![]() カントウヨメナ 歩道沿いにはエノコログサの仲間、イヌタデ、コセンダングサ、カントウヨメナ、アキノノゲシなどの植物が生育しています。目立たない植物ですが、私たちに貴重な緑を提供してくれています。
![]() 農道や水路沿いに、開成町の花であるアジサイが約5,000株植栽されています。6月の「あじさい祭り」のころには紫、青、白、桃色のアジサイが水田の周囲に数kmにわたって咲き乱れ、多くの見物人でにぎわいます。農道沿いにある上島農村公園とあじさい公園にはトイレがあります。
![]() 馬頭観音は、江戸時代、家族の一員のように大切にされていた馬が死んだ際、その労苦に報いるために建てられた供養碑です。農作業の機械化により、次第にその意義も薄れ、家の建て替えや道路の拡張の際にここにまとめられました。
![]() 古くは三島社と言い、鎌倉時代に源頼朝が伊豆の三島から西相模へ移し、祀った8社のうちの1社といわれています。1874(明治7)年に吉田神社と改名されました。境内にはケヤキ、クスノキ、イチョウ、カヤの大木があります。
![]() 酒匂川の河川敷に整備されているスポーツ公園で、野球場、サッカー場、パークゴルフ場、ピクニック広場のほか、バラ園や花畑があり、季節の草花を楽しむこともできます。公園内の管理センターには休憩施設やトイレがあります。
![]() ヒガンバナの葉は10月ごろに地上部へ出てきて、秋から冬の間に養分を地下の鱗茎(りんけい)に蓄え、越冬後の春には枯れてしまいます。そして、秋の彼岸のころ、長い花茎が伸びて開花するというユニークな生活パターンを持っています。以前は、毒性を利用して野ネズミの害を防ぐとか、飢饉のときに毒抜きして食べるためにあぜに多く植えられていました。
![]() 酒匂川の治水工法 水防倉庫を改修した酒匂川ふれあい館には、酒匂川の治水の歴史を学べる写真パネルなどが展示されています。
隣接する酒匂川の堤防上では、丸太材や自然石などの自然材料が使用された「釜段工」「聖牛」「木工沈床」といった昔ながらの治水工法を見ることができます。現在の治水工法はコンクリートを使用したものが主流ですが、最近では環境への配慮から間伐材などを用いて、これらの工法を採用する場合もあるようです。日曜のみ開館。トイレは土・日曜のみ使用可能。
![]() この堤防の松並木は、江戸末期の農政家・二宮尊徳が13歳の時、子守りの駄賃にもらった2百文のお金で、200本の松の苗を植えたものが始まりといわれています。成長が早くて大きく根を張るクロマツは治水に役立ち、戦前には、洪水対策の水制工にも切り倒され利用されました。
![]() 1971(昭和46)年の栢山頭首工の完成により、酒匂川の水が農業・生活用水として幅広く活用できるようになり、足柄平野が県内でも屈指の穀倉地帯として一層の脚光を浴びることとなりました。酒匂川の水が両岸の堤防の間を広々と流れており、河原ではコサギやアオサギなど、水辺の野鳥の姿を見ることができます。
![]() 母屋は瀬戸家の住宅として、1707(宝永4)年の富士山噴火後の、18世紀前半に建てられたと推定されていますが、改修工事では明治中ごろの間取りに復元されています。かやぶき寄棟づくりの母屋は、神奈川県内で現存する民家の中でも有数の規模を有し、「式台」と呼ばれる玄関や書院づくりの座敷など、名主の家としての高い格式や役宅としての特徴が数多く残されています。その母屋は、茶会や演奏会などの文化活動の場として、また、ひな祭りや端午の節句、月見などの年中行事や、郷土料理づくりなどの生活体験の場として利用されています。
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新松田駅〜開成駅コース