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コース1 コース3 コース8 コース10 コース11 コース12 多摩川支流の野川と仙川、大昔の多摩川の川岸跡である国分寺崖線を巡るコースです。野川に沿って緑豊かな崖が連続している地形を、国分寺崖線と呼んでいます。長い年月をかけて多摩川が武蔵野台地を削ってできた河岸段丘崖で、高さ10〜20mの斜面が立川市から世田谷区まで約25km続いています。国分寺崖線からは、あちこちで湧水がしみだしていました。その名残は今でも見ることができます。この貴重な湧水を求めて、縄文時代から崖線に沿って人々が定住していたといわれています。また、湧水からの小さな流れが集まった野川は、つい40〜50年ほど前までは、ワサビ田を育み、アユやウナギなどの漁の場でもありました。仙川は武蔵野台地を侵食しつつ流下し、この崖線を削って野川と合流しています。
![]() 仙川の両側にはサクラの大木が続き、大きく伸びた枝先の花が川面に映る景色は春の風物となっています。また、冬には、ハシビロガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、コガモなどが飛来します。仙川の名は、その水源であった三鷹市の勝渕神社前の丸池に、釜の形をしたたくさんの湧水口が、千釜と呼ばれていたことが起こりといわれています。丸池の湧水群は、1971(昭和46)年ごろには埋め立てられてしまいましたが、1995(平成6)年から東京都と三鷹市により「丸池」の復活計画が開始されています。
![]() 荒玉水道道路は、喜多見2丁目の砧浄水場から杉並区の青梅街道と環状七号線の交差点あたりまで続くほとんどまっすぐの道路です。荒玉水道は、1923(大正12)年の関東大震災後に始まった急激な都市化による水の需要に応じるため、豊多摩郡、北豊島郡の13の町が共同事業として、1934(昭和9)年3月に竣工しました。荒玉は、荒川と玉川(多摩川)から取水するという意味でしたが、荒川からの取水は行われませんでした。この道路は、埋設されている水道本管の保護のために、積載重量4トン以上の車は通行が規制されています。
![]() 大蔵団地を貫く世田谷通りの両側には、サクラの大木があります。この一帯を「大蔵団地とサクラ」と称して、1984(昭和59)年に世田谷区民の募集・投票により「世田谷百景」に選ばれています。世田谷通りにかかる弥生橋(歩道橋)からのサクラの花は特にすばらしい眺めです。
![]() 崖線沿いに緑豊かな雑木林があり、1981(昭和56)年から区立の公園として整備されています。この公園は、住民参加による公園運営のモデルケースともなっており、雑木林の春のシンボルであるイチリンソウの群落がかわいい花をつけます。樹林の中の快適な小径を下ると湧水池があり、池の周りをセキショウが縁取り、ハンノキが生えています。
![]() 都立砧公園に隣接した世田谷区立の運動公園です。北側の門を入ると正面に近代的な体育館と噴水があり、他に野球場、陸上競技場、テニスコート、洋弓場、プールなどのスポーツ施設が完備されています。公園の西側に珍しいムクロジの群落があります。ムクロジの種は、はねつきの玉になり、実は昔は洗剤として使われたそうです。また、世田谷区では、この公園内で剪定枝をチップ化し、学校給食コンポストとの混合堆肥づくりを行い、希望農家へ提供し、栽培された農作物を学校給食などに利用する「学校給食等残さい堆肥化事業」を実施しています。
![]() カリンはカンボケやボケと同じバラ科ボケ属に属する中国原産の樹木で、日本へは平安時代には導入されていたといわれています。3月ごろ、少し葉が出かかったころに、枝の上の方に薄桃色の花を咲かせ、秋の終わりにはリンゴほどもある大きさの黄金色の見事な果実をつけます。果実は石細胞が多くて大変固いのですが、咳を止める薬用成分が含まれており、輪切りにし砂糖とともに煎じて飲むと効果があるそうです。また、焼酎に漬けて果実酒としても飲用されています。
![]() この公園は、田直土地区画整理事業に伴い整備された公園です。傍らの記念碑には、この地区一帯はローム層から成る黒土と言われる農耕に適した土地であり、旧石器縄文時代の遺跡や古墳などが発掘され、古代より人々がこの辺りでも生活していたことが記されています。また国分寺崖線に沿った一帯が優れた農用地として、人々にたくさんの恵みをもたらしてきたその歴史を伝えています。
![]() 「次大夫堀」とは、稲毛・川崎領(現神奈川県川崎市)の代官であった小泉次大夫の指揮により、1597(慶長2)年から15年の歳月をかけて開削された農業用水のことです。正式には六郷用水といい、多摩川の水を取り入れ、世田谷領(現狛江市の一部・世田谷区・大田区の一部)・六郷領(現大田区)を潤す用水(全長23.2km)でした。1980(昭和55)年に昔の流れに沿って水辺の生態系も含めた復元が行われた結果、現在は、ドジョウやフナ、ザリガニなどの懐かしい動物が生息し、これらを捕食するカワセミやシラサギなども飛来するようになりました。世田谷の古民家を移築した民家園もあります。
![]() 野川は、国分寺市東恋ヶ窪付近を源に、武蔵野台地の端部、国分寺崖線に沿って東南に流下し、小金井市、三鷹市、調布市を経て、世田谷区玉川で多摩川に合流する、延長20.23km、流域面積69.6km2の一級河川です。親水施設の設置や公園と一体となった河川の整備などにより、四季折々の自然が息づく潤いのある川として多くの人々に親しまれています。
野川沿いで見られる植物は、ブタクサ、ヒメジョオン、シャクチリソバなどの外来種が多く、夏から秋にはキクイモ、セイタカアワダチソウなど黄花の外来種が目立ちます。日本の環境に適応した外来種には繁殖力の強い種が多く、各地でその生育エリアを拡大しています。カルガモ、カワウ、コサギ、ユリカモメ、カワセミなどの鳥たちも見られます。
![]() 国分寺崖線沿いには、縄文から古墳時代の遺跡が数多く見つかっています。そのころからごく最近まで、人々は湧水を引いて田畑を潤し、集落に隣接した雑木林からは用材、燃料(薪・炭)、肥料(落葉の堆肥)を得るなど自然からの恵みを受けて生活していました。しかし、薪・炭や堆肥の使用が少なくなり、生活、生産様式が変化した現在、雑木林はシイ・カシなどの常緑樹林に代わりつつあります。崖線に残る雑木林は、都会とは思えない、ふるさとの風情を味わうことができる貴重なものになりつつあります。
![]() 初夏には、雑木林のそばでツリガネニンジンの花を見かけることがあります。太くて白い根があることから朝鮮人参の根に例えてこの名が付きました。この根に養分を貯蔵し、夏から秋にかけて刈り取られると根生葉を再生し、速やかに地上部を回復させる、刈り取り草原に適応した植物です。若芽はトトキと呼ばれて食べられます。
![]() その名前のとおり、サクラとモミジの大木があります。今では住宅街では珍しい砂利道で、静かな趣のある空間となっています。道は行き止まりです。成城は、国分寺崖線の斜面を上りきった武蔵野台地上に形成された住宅街で、このような趣のある緑が多く残されています。
![]() この市民緑地は、都市緑地保全法に基づき、(財)せたがやトラスト協会と土地所有者との契約で設置された緑地です。都市の緑を保全する制度の一つで、地域のボランティアの協力によって管理され、市民の利用に供されています。国分寺崖線の斜面にあり、坂の古称からこの名前が付きました。ユリノキ、タイサンボク、ムクゲなどの樹木の花、イロハモミジ、ハゼノキの紅葉、マユミの赤い実、ニリンソウなどの草花が楽しめます。
![]() アカマツは痩せ地に強い種で、乾燥した尾根筋や斜面上部、岩場など劣悪な環境でも生育が可能です。また、伐採跡や崩壊地、山林火災の跡地などにいち早く侵入する先駆樹種(パイオニア)でもあります。かなりの日照がなければ成長できない典型的な陽樹です。こうしたことから、斜面の崩壊が発生したと思われる崖線の上部にアカマツが残ったものと考えられます。このアカマツの大木は、世田谷区の保存樹木に指定されています。
![]() 見渡す限りの緑、そして花。芝と木立の間を流れる小川。都内でも、芝生の広がりが際立っているのが砧公園です。元はゴルフ場で、川や池、林などの起伏に富んだ地形をそのまま生かし、1966(昭和41)年に一般公開された緑の公園です。野球場、アスレチック広場やサイクリングコース、バードサンクチュアリがあり、また、一角には世田谷美術館があります。
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成城学園駅前コース