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二宮尊徳(1787年〜1856年)ゆかりの地を訪ねながら、酒匂川に由来する水と緑の豊かな自然に触れることができるコースです。二宮尊徳は、栢山で生まれ育った篤農家です。没落した家業を立て直した経験をもとに殖産を説き、農村の復興に貢献しました。尊徳記念館や尊徳の生家、菩提の善栄寺などでその一生をうかがうことができます。また、行く先々の社寺に生育する珍しい樹木や、網目状に流れる水路が特徴的な水辺景観、自然の猛威に懸命に立ち向かった先人の努力がつくり上げた酒匂川堤防の河川景観など、興趣は尽きないことと思います。
![]() シキザクラの花 光明寺の入り口付近にはシダレザクラ、サツキなどの花木が植えられています。その中に春と秋の1年に2回開花する桜があります。この桜は「シキザクラ(四季桜)」と呼ばれる種類ですが、地元では、秋にも咲く桜として「ジュウガツザクラ(十月桜)」と呼ばれています。シキザクラは、マメザクラとエドヒガンの種間雑種と考えられる栽培品種です。
![]() 若宮八幡宮は、酒匂川西岸、堀之内村(旧地名)の鎮守で、昔は飯田岡(現在の所在地である堀之内よりも南方)にあったものが1352年〜1355年に酒匂川の洪水によって現在の場所に移されたといわれています。境内には、「小田原市緑と生き物を守り育てる条例」により保存樹として指定されたムクノキ、ケヤキの大木が見られます。また、クスノキ、カリン、サクラなどの樹木が植栽されています。
![]() ヤナギモとオオカナダモ この辺りは富水という地名にもあるように、かつては自噴の井戸が各所で見られ、水路が網目のように走るのどかな田園地域でした。現在でも住宅街を流れる用水路は、風情ある街並み景観を醸し出しています。水路には在来のヤナギモ、エビモや南アメリカ原産のオオカナダモなどの水草が見られます。オイカワの群れが清流を気持ちよく泳ぎ、このオイカワを採餌するコサギの姿を見掛けることもあります。
![]() 二宮尊徳は江戸末期に活躍した篤農家です。1787(天明7)年に小田原市栢山の農家の長男として生まれ、両親と死別してからは伯父の家に寄食しながら創意工夫に努め、30歳のころには一家の再興を果たしました。その後、農村指導者として優れた手腕を発揮し、69歳で逝去するまでに立て直した町村は600余といわれています。ここでは、二宮尊徳の少年時代の苦労や農村の復興に尽力した様子が、ビデオや実物大の人形模型などにより、分かりやすく解説されています。
![]() 尊徳が誕生したこの家は、尊徳が16歳の時、一家離散の際に売り払われてしまいました。転売・移築を重ねながら農家の住宅として使用され、1960(昭和35)年に柳新田の渡辺善太郎氏の住宅となっていたものを、尊徳記念館建設期成会が尊徳の誕生した場所に復元し、小田原市に寄贈しました。建築されてから約200数十年を経過した家ですが、現在でも主な木材は手入れを必要としないほどに堅固です。現在、神奈川県重要文化財に指定[1963(昭和38)年3月5日]されています。
![]() 善栄寺は、寺伝によると1215(建保3)年に創建され、中世の末には、酒匂川の度々のはんらんを受けて寺領も伽藍も荒廃したものの、小田原北条氏第三代当主・北条氏康(うじやす)夫人の瑞渓院(ずいけいいん)によって再興され、今日に至ったとされています。寺内には瑞渓院の墓のほか、二宮尊徳の墓があります。尊徳は、日光御神領再興を命じられ、その実践中に亡くなり、栃木県今市市にある如来寺に葬られました。この墓には、尊徳の実弟三郎左衛門が持ち帰った尊徳の遺髪と遺歯が埋葬されています。境内には二宮金次郎「少年勉学の像」があり、シラカシ、ナギ、イチョウ、アカマツ、カリンなどの樹木に囲まれ、落ち着きのある雰囲気を醸し出しています。
![]() 栢山神社の境内には、小田原市指定保存樹のクスノキとイチョウの大木が見られます。そのほか、ムクノキ、ゲッケイジュ、エノキなどが植栽されています。この栢山神社の林は、数年前には樹冠が真っ白に見えるほどのコサギの大群が住むコロニーだったそうです。しかし今では、境内の環境に大きな変化はないものの、周辺の住宅化の影響なのか、コロニーをつくらなくなってしまったそうです。
水田のあぜは、田んぼに注いだ水をためる「堤防」としての役割を保つために、定期的に雑草管理(草刈り)が行われています。この草刈りが行われることによって、多様な在来種が植物群落として残されています。ここでもオオジシバリ、キンエノコロ、ウシハコベ、ヒメクグ、イヌタデ、ジュズダマ、ミゾソバ、コセンダングサなどのさまざまな草花を見ることができます。
![]() 酒匂川の堤防上には、河口からこの辺りまでに約400本ものクロマツが植栽されています。この松並木は、江戸末期の農政家・二宮尊徳が13歳の時、子守りの駄賃にもらった2百文のお金で松の苗200本を譲り受け、堤防を補強するために植えたものが始まりといわれています。暴れ川としてはんらんを繰り返してきた酒匂川の堤防に、成長が早くて大きく根を張るクロマツを植えて治水に役立てたのです。
堤防の草地は、治水上の目的で定期的に草刈りされているために草丈が低くなっています。この草刈りによって、人為的に明るい環境が維持されているため、ノコンギク、ヒメジョオン、ススキ、ヨモギ、ヤブカンゾウ、スイバ、カタバミ、オオイヌノフグリ、イタドリ、コセンダングサなど多種の野生草花が生育しています。
![]() 堤防上には、洪水対策のために植えられたクロマツの林のほかに、エノキとニセアカシアの林も所々で見ることができます。鳥の好物の、エノキの実が鳥によって運ばれ、日当たりが良く、適度に湿り気のある河原で芽生えて林になったものと思われます。また、外来種のニセアカシアは、砂防用にあちらこちらで植えられ、繁殖力が強いことから河原や土手などで野生化して林になっています。
![]() 酒匂川の堤防には、所々切れている様子がたなびく霞に似ていることから名付けられた「霞堤(かすみてい)」が見られます。霞堤とは、洪水によって堤防が破壊されるのを防ぐため、堤防の一部を不連続にして、そこから河川水を田畑などの比較的被害の少ない所に誘導する導水効果を利用した堤防のことです。また、はんらんがあった場合には山から運ばれてきた豊富な栄養分が農地に補給される効果もあり、先人たちの知恵を垣間見ることができます。
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富水駅〜開成駅コース