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このコースは、多摩丘陵の北部中央に位置し、標高70〜80m程度の丘陵が連続する起伏の多いコースです。この地域は、鶴見川の支流の真福寺川や早野川の源流域でもあり、これらの川に沿って大小多くの緑豊かな谷戸がありました。1965年ごろから大規模な宅地開発が進みましたが、かつての農村的な風景は、一部の公園や畑、山林にその面影を残しています。このコースに当たる旧王禅寺村は、徳川家二代将軍徳川秀忠の夫人の、お江与の方の嫁入りの際に与えられた領地(御化粧領)で、また、お江与の方と秀忠が亡くなった後の1632年に徳川家の菩提寺である芝・増上寺の領地(御霊屋領)となったことなどから、幕府からの諸役の負担を一部免除されていました。江戸時代、1762年の王禅寺村絵図に「けわいめん谷」とあり、「けわい」とは化粧のことで「めん(免)」は年貢の免除などを意味しています。現在の王禅寺ふるさと公園の、西側の早野川沿いの辺りを指しています。
![]() 茶臼山緑地の樹木 旧王禅寺村日光と道一つ隔てて、旧上麻生村の小高い丘に茶臼山緑地があります。1611年大阪冬の陣、1615年夏の陣に、徳川家康は大阪城攻略の本陣を天王寺村茶臼山(大阪天王寺区)に置きましたが、後年、家康は江戸幕府に近いこの丘で鷹狩りに興じ、天下人の感慨に耽ったといわれているのが「茶臼山緑地」の伝承です。尾根筋には、上層にクヌギ、コナラ、ヤマザクラなどの落葉広葉樹が、下層にはシラカシ、アラカシなどの常緑広葉樹が見られ、植生の自然遷移の様子がうかがえます。
![]() かつて、この辺一帯はうっそうとした森が広がり、池の周辺にむじな(アナグマの別称)が住んでいたため「むじなが池」と呼ばれていたようです。この池は真福寺川の源流の一つで、奥にある湧水と豊かな緑に囲まれ、昔のままの静かな状況が保たれています。池周辺の樹林は、上層はコナラ、クヌギ、ケヤキ、ヤマザクラ、イヌシデなどの落葉広葉樹が主体で、スダジイ、シラカシなどの常緑広葉樹も見られます。
![]() 白山姫命(しらやまひめのみこと)を祀っており、山王社、神明社、稲荷社、比川社とともに王禅寺村の鎮守五社の一つです。1200年の修験道の歴史を持つ加賀白山神社の末社として創建されたといわれ、現在の拝殿および本殿は1851年に再建されたものです。本殿は総欅・素木造りで、向拝柱・木鼻などには躍動的な獅子や龍などの彫刻が施され、関東の江戸末期の社寺建築の特徴である豊かな装飾で飾られています。神社の前は白山谷戸といわれ、1590年、小田原落城のころに戦があった古戦場と伝えられています。
![]() 王禅寺ふるさと公園は、川崎市制施行60周年を記念して1984年に都市計画決定された総合公園です。現在広さは約8.5haですが、「水と緑のふれあい・ふるさと意識の熟成」をテーマとしてふるさとの風景の保全と再生を目的に、さらに拡大整備される予定です。多摩川をイメージした水の流れ、広々とした多目的広場、遠見の広場、自然林を生かした散策道や富士山を眺望できる見晴らし広場などがあります。また、多目的広場東側に禅寺丸柿が植えられています。
![]() 王禅寺は、真義真言宗豊山派の古くからある寺で、本尊は聖観音菩薩です。室町時代には真言密教の道場となり「東国の高野山」と称されました。1370年に等海上人が、新田義貞の鎌倉攻めで焼失した王禅寺の再建ため、寺の用材を求めて山中奥深くに入った際、甘みのあるカキを発見し、村人たちに栽培を勧めたのが禅寺丸柿の始まりとされています。同寺には、その原木(現在の木はそのひこばえが育ったもの)があり、かながわの名木100選に指定されています。山門から入口の門までは、脇に湧水が流れる長い参道が続き、趣深い情景となっています。
![]() 王禅寺村の名主であり、芝・増上寺御霊屋領二十五ヶ村の取締名主を兼ねていた志村文之丞が、讃岐の金刀比羅宮の分霊を勘定し、神明社と合祀し神明社琴平神社となりました。1980年には琴平神社と改名され、「柿生のこんぴらさん」と呼ばれ信仰されています。お正月には、一年の厄除け、無病息災を祈り「茅の輪くぐり」の神事が行われ、参拝客でにぎわいます。
![]() この公園にある籠口ノ池は、かつては雑木林に囲まれた自然の溜池で、真福寺川沿いの下麻生の稲作のかんがい用水として使われてきましたが、現在は河川水量を調整する調整池に変わっています。この池の周囲にはサクラが植えられ、花見の名所となっています。この池には徳川二代将軍徳川秀忠の夫人お江与の方が亡くなった後に、闇夜に白蛇に化身して籠口の水を飲みに来たという伝説が残っています。王禅寺村が、お江与の方の御化粧領となっていたことにかかわる伝説です。
![]() 東柿生小学校交差点にある道標 東柿生小学校交差点に「昭和四年十月建立」の、とても興味深い道標があります。「東 王禅寺、石川、溝ノ口」、「南 市ヶ尾川和横濱」、「北 真福寺生田登戸」となっており、建立当時の人々の行動範囲が想像できます。残念ながら道路の舗装により下の部分が見えなくなっていますが「昭和四年十月建立」の下は、「下麻生青年」という文字まで読み取ることができます。
![]() キツネノカミソリ 不動橋から月読神社へ行く細道沿いには、春にはムラサキハナナ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、夏にはキツネノカミソリなどの草花が見られます。キツネノカミソリの名前の由来は、キツネが出るような寂しいところに生え、春に出る細長い鞭状の葉の形が日本古来の剃刀に見立てられたという説があります。
![]() この神社は、1534年、麻生郷領主小島佐渡守によって、打続く応仁の乱の苦悩にあえぐ領民のために天下泰平と五穀豊穣を祈願し、伊勢皇太神宮の別宮である月読宮の分霊を勧請して創建されました。1918年上麻生の熊野神社、下麻生の日枝社、山口の白山社を合祀して村社麻生神社となりましたが、月読の社号は全国的にも極めて稀なところから1933年に再び月読神社と称えられることとなりました。社殿の左右にシダレザクラ、ツバキがあり、周りはスギ、シラカシ、ケヤキなどの樹木に囲まれています。また、この森にはアオゲラが見られ、スギにはキツツキ類が餌を探した穴も見ることができます。
![]() この森は、1996年に通称「丸山」が川崎市に寄贈されたもので、ボランティアの人たちにより整備・管理され、市民の自然とのふれあいの場となっています。この森の北側斜面では、禅寺丸柿やキツネノカミソリが大切に管理され、その外側にコナラ、ヤマザクラ、アラカシ、アワブキなどの樹木があります。隣接する柿生随道跡は、1951年に開通した真福寺地区と柿生駅を結ぶトンネルが、1978年には老朽化による水漏れ、土砂崩れより取り壊され、現在のような切り通しとなったことを証しています。
![]() ![]() 浄慶寺のアジサイ 浄慶寺には1,000本を越えるアジサイが植えられ、「柿生のあじさい寺」と呼ばれています。背後の小高い山には散策道があり、ウメ、サクラやモミジなどの季節の植物を楽しむことができます。浄慶寺のすぐ横にある秋葉神社は、江戸時代、領主三井家が火防、厄除け、五穀豊穣、諸民安穏を祈願して遠州秋葉神社の火伏の神を勧請したものです。境内の一対の狛犬は、東京小石川傳通寺(徳川家康の実母の菩提寺)より移されたものです。
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柿生駅(王禅寺)コース