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このコースは代田、代沢、太子堂、三宿を巡っていきます。これらの地域を繋ぐものが北沢用水と烏山用水で、二つの用水は合流し目黒川となります。世田谷区はかつて、自然の水系に恵まれず、耕作地の収穫を上げるために用水路の開発が不可欠な状況でした。玉川用水が1653年に四谷大木戸まで開通した後、この余水利用が許可され、灌漑用水が引かれました。1658年に北沢用水が、翌年には烏山用水が開削され、新田開発に大きな役割を果たしました。今はその用水路の上部は緑道として整備され、草花や木々の美しさが味わえる区民の憩いと散策の路となりました。南北朝時代にこの地を治めていた吉良氏は、世田谷城や砦を築き、「世田谷吉良殿」「蒔田御所」と称されるほど、諸侯から一目置かれる存在でした。
![]() 真言宗豊山派の圓乗院は旧吉良家家臣であった代田七人衆の手により1625年に創建された寺院ですが、その後の火災により焼失しました。現在の本堂は、1954年に旧秋田藩主佐竹氏の菩提寺・総泉寺の本堂を移設したものです。境内には本堂のほか、観音堂があります。また、第二次大戦下1945年5月25日の東京大空襲の戦火で焼けたコウヤマキがあり、戦争の痛ましさの象徴として保存されています。その姿は象のようにも見える不思議な形をとどめています。
![]() ![]() キツリフネ 北沢川緑道は、かつての水辺空間の復活を望む地域住民の思いが反映され、せせらぎのある緑道として再整備されました。長く続く桜並木は花見の名所としても名高いですが、さまざまな植物が植栽されていることにも注目です。ヤマブキ、ツツジ、アジサイ、キョウチクトウなど、四季折々の花をつける植物のほか、キツリフネ、ギボウシ、ヒメシャガ、オオフサモ、アサザなどの湿地や水辺の植物が見られます。
![]() 円泉寺は、聖王山法明院と呼び、真言宗豊山派の寺院です。1597年に賢恵大和尚により創建され、境内の太子堂や小堂(圓泉坊)も本堂と同時に建てられたといわれています。1857年災禍を被り諸堂宇を焼失しましたが、その後1860年に本堂、太子堂、庫裡が再建されました。太子堂には聖徳太子が祀られ、太子堂の地名はこの由縁によります。円泉寺周辺は保存樹林に指定されたケヤキやイチョウの大木があります。
![]() ![]() 烏山川の水源の場所は世田谷区北烏山の高源院付近で、徳川時代に玉川上水からの分水を加え、烏山用水としたのが起源です。三宿で北沢川と合流し目黒川となります。船橋7丁目希望ヶ丘団地そばの都道118号線を起点とし、北沢川緑道との合流点までの約6.7kmが烏山川緑道として整備されています。緑道には多彩な樹木や草花が植栽され、散策や通勤路として利用する多くの人や緑道周辺の住民の方々に親しまれています。
![]() 三宿という地名は、水の宿る地「水宿」が転じて「三宿」となったといわれます。三宿神社の本尊である毘沙門天は、廃寺となった多聞寺から移したと伝えられています。また、養老の滝の孝子が狸を助けたという伝説に基づいてつくられた狸囃子という神楽が伝わっており、毎年9月の例祭に奉納されています。そのためか、烏山川緑道の水飲み場や円泉寺には狸の焼き物があります。
![]() 2004年4月に開園した面積約8,000uの三宿の森緑地公園には、クスノキ、スダジイ、タブ、アカマツ、ケヤキ、カヤノキ、イロハモミジなど、たくさんの樹木があり、既存の樹林を残しながら、近代風の公園として整備されています。隣接する三宿神社の既存樹林と一体となっており、かつての三宿城が構築されていた台地崖線林の面影を残す公園ともなっています。
![]() ここの祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)、比売神(ひめかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)、仁徳天皇(にんとくてんのう)の4つです。文明年間世田谷城主であった吉良家によって、世田谷北辺の守護神として勧請され創建されました。世田谷七沢八幡の一つで、八社随一の正八幡宮と伝えられますが、江戸時代になると、八幡宮の隣に葵の紋の森巌寺が建てられ別当となりました。境内には、本殿の他、神楽殿、高良玉垂社、円海稲荷社、産土社、弁天社、野屋敷稲荷社、愛宕稲荷社があります。
![]() お灸や針供養で有名なこの寺院は、徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子となり、後に下総結城家を継いだ、結城中納言秀康の位牌所として1608年に建立されました。境内にある淡島神社は、紀州の淡島様を祀って建てられ、女性特有の病気に霊験あらたかであるとされ篤く信仰されています。また寺の歴史をものがたる樹齢400年のイチョウが一対あります。
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世田谷代田駅〜下北沢駅コース