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小田急沿線には雄大な山々に囲まれた観光地も多く、山歩きや登山を楽しむ観光客に親しまれています。一方で、登山道の管理や保全が追いつかず、経年劣化や災害による荒廃が進む現実に直面しています。
自らも登山が趣味だという小田急電鉄㈱の板谷拓人さんは、社内で登山道の管理をDXする事業を考案。2023年から検討や実証を進め、今年5月に登山道管理DXサービス「PATRAIL(パトレイル)」をローンチしました。今日に至るまでの日々を振り返りながら、企業として、また一人の登山者として成し遂げたい思いを聞きました。
趣味がきっかけで登山道管理の事業化に挑戦
運転士としてのキャリアを歩んでいた板谷さん。鉄道の運行を支える立場として日々を過ごす一方で、「よりイノベーティブな価値を発揮できるチャンスがないか」と感じることもあったと言います。
(板谷)鉄道は、運行ダイヤをはじめ高度に「仕組み化」されることで、安定した列車運行が成り立っています。その一翼を担う責任感ややりがいはとても大きく、また交通インフラとしてのダイナミックさも感じながら日々の業務にあたっていました。一方で、自分自身がもっと自発的に課題を追求し、これまでと違った形で価値を提供する仕事にもチャレンジしてみたいという思いがあったのも事実です。その中で、社員から広く新規事業のアイデアを募っていることを知りました。運転士という仕事にやりがいを感じながらも、同僚や上司の後押しもあり、思いきって飛び込んでみることにしました。
目を向けたのは、趣味の登山で訪れる「登山道」でした。保全が十分に行き届かず荒廃し、危険な道が増えたり、通行止めになったりといった登山道の現状を解決するためのシステムづくりができないかと考えたのです。
(板谷)現在、登山道の管理・保全には環境省や都道府県、市町村などの行政機関、さらにNPOや民間団体など多くの人が関わっています。しかし現状のアナログな管理では情報共有が難しく、時間やコストもかかる。そこで登山道の点検や状況報告、整備の判断、工事の進捗などをクラウド上で一元管理することで効率を高められないかと考えました。
環境省の調査では、34の国立公園のうちの約半数で、登山道の異常が把握されている
※出典:総務省「令和4年度 事業執行者不在登山道等における管理等現状把握業務報告書」50頁より
踏み出した一歩から広がる、志を同じにする人の輪
このサービス開発が登山道管理DX事業として動き出したのは2023年。山梨県や箱根町など、行政機関とも実証実験を行い、サービスをブラッシュアップしてきました。実証を重ねることで認識したのは、先進的な技術を取り入れて利便性を向上させながらも、行政機関をはじめ実務に関わる人が使いやすいシステム構築の必要性でした。
板谷さんとともに日々、サービスのブラッシュアップを図るメンバー
(板谷)当初、私たちは最先端の技術を導入して、どんどん効率化していこうと考えていました。ですが、行政や日々の管理に携わる方からすると、現在アナログで管理しているものをデジタル化するなら、むしろシステムのわかりやすさや運用のしやすさの方が重要なのではないかと気付かされたんです。それ以来、実証に協力いただいた行政機関の方々と検討を重ねながら、どうすれば導入しやすいのか、使い続けやすいのかを念頭に置いて、サービスを磨き上げていきました。ステークホルダーの視点を知ることで得られたものは、とても大きかったですね。
こうして生まれたのが、登山道管理DXサービス「PATRAIL」です。登山道の危険箇所や保全が必要な箇所をアプリ上で共有し、工事の進捗やその後の経過もモニタリングできるのが特徴です。
(板谷)私は元々、リーダーシップが強いタイプでも、チャレンジに積極的なタイプでもありません。それでも「登山を続けられる環境を守りたい」「この事業を自分がやらねば!」と思えたこと、背中を押してくれる人がいたことで、ここまで取り組んでこられたと思います。特に印象に残っているのは、2025年末に行った有識者や団体の方を招いてのサービス視察会でのこと。事業のスタート時から関わってくださっている方から、「ついに、このサービスが認知され広がっていく可能性を感じることができた。ここがまさにスタートラインだ」という言葉をいただきました。たくさんの縁がつながり、同じ志を持った人が今日ここに集まってくれた。思いはこれからもつながっていき、このチャレンジを継続できると強く感じられました。
登山道を守り、観光資源としての価値を高める
PATRAILの目標は、登山道管理専門ツールのパイオニアとして認知を高め、国内における登山道管理の標準ツールとして利用されるようなサービスになること。一方で、他社のサービスに対する競合意識のような感情はないと言います。
(板谷)私たちが目指すのは、登山道の保全や管理が行き届くことによって、登山者がより安全に通行でき、登山文化が持続していく仕組みづくりです。ですから、類似するサービスを有している企業には、登山を取り巻くエコシステムを共につくり上げていく仲間のように感じている部分もあります。
登山道を守ったその先には、観光資源としての登山文化の醸成や、登山道の入口となるまちの繁栄も重要な課題であると板谷さんは考えています。
(板谷)PATRAILには、登山というアクティビティ文化をこの先も残していきたいという個人的な思いもあります。ですがそれ以上に、登山には趣味やレジャーという枠を超えた可能性がある。そのことに目を向けてもらいたいという思いを強く持っています。登山に関心がない人からすれば、登山道の保全よりも優先してほしいことがあるのも当然です。それでも「きちんと保全すべきだ」と思ってもらうためには、山がまちに潤いをもたらす観光資源としてのポテンシャルを秘めていると実感してもらうことが必要です。私たちもこうした観光資源を活用して成長してきた企業ですから、観光インフラの保全にも一定の責任を持って取り組む必然性があると思っています。保全は目的ではなく、あくまでその観光資源の維持や活用のための手段なんです。
「誰も挑戦してこなかった分野だからこそ何が正解かわからないし、考えたり判断したりしなければならないことも多い」と、新たなフィールドを切り開いていく苦しさを味わいながらも、登山道の荒廃という課題から目を背けず自分がやり遂げたい挑戦だと語る板谷さん。PATRAILの普及によって登山道管理に関わる人の負担を減らし、持続可能な登山文化づくりに貢献したいという新たな目標も見え始めました。サービスの正式なローンチを経て、ここからさらに事業のアクセルを踏んでいきます。
※内容は取材時のものです。
監修:小田急電鉄株式会社